「これで本当に合っているんだろうか」 「もっと正しい選択があるんじゃないか」
そうやって、人生の「正解」を探し求めて疲れてはいませんか? 私たちはいつの間にか、損をしないように、失敗しないように、最短距離の「正解」を選ばなければならないという強迫観念に縛られている気がします。
しかし、40代を過ぎ、いろんな景色を見てきて思うのは、**「人生に最初から用意された正解なんて、どこにもない」**ということです。
正解を探すほど、足は止まってしまう
何かを始めようとする時、私たちはつい「完璧な準備」や「確実な見通し」を求めてしまいます。でも、どれだけ情報を集めても、どれだけシミュレーションを重ねても、未来のことは誰にも分かりません。
正解を探している間、私たちの足は止まったままです。 時間は刻々と過ぎていくのに、頭の中だけで「正解のルート」をなぞり、結局一歩も踏み出せない。これこそが、人生において一番もったいない停滞なのかもしれません。
「正しいかどうか」ではなく、「やりたいかどうか」。 そのシンプルな基準を、私たちはどこかに置き忘れてきてしまったのではないでしょうか。
動き出した後で「正解」にしていく
振り返ってみれば、これまでの人生で「やってよかった」と思えることは、最初から正解だと分かっていたことばかりではないはずです。
むしろ、 「とりあえずやってみた」 「流されるままに飛び込んだ」 そんな不完全なスタートだったものが、後から振り返った時に「あれが正解だったんだ」と思える形に育っていく。
正解は「選ぶもの」ではなく、動き出した後に、自分の手で「創り上げていくもの」なのです。
たとえ途中で「あっちの方が良かったかも」と後悔するようなことがあっても、動いたことで得られた経験値は、次の道を選ぶための大切な糧になります。止まって考えていただけでは、絶対に手に入らなかった財産です。
不完全な自分に「GO」を出す
私たちは、完璧である必要はありません。 少し不器用でも、準備が足りなくても、情熱が少し足りない日があってもいい。
南河内のゆったりとした空を眺めていると、「自然のままに、ただそこに在る」ことの尊さを感じます。木々も花も、正解を探して咲いているわけではありません。ただ、その時、その場所で、自分を精一杯生きているだけです。
もし今、あなたが「正しい道」が見えなくて立ち止まっているのなら、一度その「正解」を探すのをやめてみてください。
「間違っていてもいい。とりあえず、こっちへ行ってみよう」
そうやって不完全なまま進む勇気を持った瞬間、停滞していたあなたの人生は、静かに、力強く動き出します。
心の繋がりを大切にしたいあなたへ
「正解」を求める社会は、どこか息苦しいものです。 でも、ここではそんな鎧を脱いで、ありのままの言葉を交わせる場所でありたいと思っています。
正しい生き方なんてなくていい。 あなたらしい歩き方で、今日も一歩、進んでいきましょう。

