宗教で病気が治る、は間違い

― あくまで霊的なお浄め ―


宗教が「病気を治す」と言われる理由

世の中には、「信仰すれば病気が治る」「祈れば奇跡が起きる」といった言葉を耳にすることがあります。
確かに、祈りによって症状が軽くなったり、奇跡的に回復したという体験談も存在します。
しかし、それは宗教そのものが“病気を治した”のではありません。

人の身体は肉体と心、そして霊の三つがつながってできています。
その中で、宗教や祈りは“霊”や“心”の部分に働きかけるものです。
つまり、医学的な治療ではなく、**「心や魂を整えるはたらき」**なのです。


お浄めとは、心と霊を清めること

“お浄め”とは、悪いものを追い払う儀式のことではありません。
本来は、**「曇ってしまった心を透明に戻す」**という意味があります。

私たちは、怒りや悲しみ、嫉妬、不安などの感情を抱えるたびに、心の中に少しずつ“曇り”がたまります。
その曇りが続くと、体にも不調が現れやすくなる。
これは医学的にも、ストレスが免疫力を下げることから説明がつきます。

お浄めは、その曇りを祈りや感謝の心で少しずつ消していく行為。
霊的に見れば、**「自分の中の光を取り戻すプロセス」**なのです。


祈りが病に作用する“本当の意味”

祈ることで病気が軽くなることは確かにあります。
けれどそれは、神様が直接病を治したのではなく、
祈る人の心が穏やかになり、自然治癒力が高まったということです。

信仰とは、奇跡を求めるものではなく、
「不安な心を静め、希望を思い出す力」です。

たとえば、
「どうか治してください」ではなく、
「生かされていることに感謝します」と祈るようになると、
エネルギーの向きが“恐れ”から“感謝”に変わります。
この心の変化こそが、霊的なお浄めの始まりなのです。


信仰と医療は、どちらも大切な“癒し”

宗教を信じることと、医療を受けることは、対立するものではありません。
どちらも人を癒やすための大切な手段です。

病気は、身体のサインであると同時に、
「心の声」「魂の声」でもあります。
その声に耳を傾け、医療で体を治しながら、祈りで心を整える。
その両方がそろったとき、人は本当の意味で“癒やされる”のです。


お浄めの先にある「光」

お浄めとは、悪いものを取り除くというよりも、
**「自分の中の光をもう一度見つけること」**です。

病気や苦しみは、神様が与えた罰ではありません。
むしろ、心を見つめ直し、
「本当に大切なもの」に気づかせてくれるための“学び”です。

その学びを受け入れ、感謝の気持ちを持つとき、
魂の曇りが少しずつ消え、人生がやわらかく光を帯びていきます。


まとめ

・宗教が病気を「治す」わけではない
・祈りや信仰は、心と霊を整える“お浄め”
・医療と信仰は対立ではなく、共に人を癒やす
・お浄めとは、自分の中の光を思い出すこと


最後に

信仰は、病気を消すための魔法ではありません。
けれど、苦しみの中でも希望を見失わない力をくれます。

「治す」のではなく、「癒やす」。
「祈る」のではなく、「感謝する」。
その心の変化こそが、真のお浄めであり、
魂の健康を取り戻す第一歩なのです。