大阪南部の羽曳野市や藤井寺市は、全国的にも有名な古墳群が点在しています。
なぜこの地域にこれほど多くの古墳が集中しているのか?
また、この地域は古代に都市として栄えていたのか?
歴史的背景をわかりやすく解説します。
羽曳野・藤井寺の古墳群とは
この地域には、特に 前方後円墳 が多数残っています。
代表的な古墳としては、
- 応神天皇陵(誉田御廟山古墳):羽曳野市
- 仲姫命陵(仲姫天皇陵):藤井寺市
- 誉田八幡宮周辺の古墳群
などがあります。
これらは5世紀~6世紀ごろの古墳時代に築かれたもので、ヤマト王権(古代国家)の有力者や支配者の墓と考えられています。
古墳が多い理由
① ヤマト王権の中核地域だった
この地域は、古代日本の中心である ヤマト王権(奈良盆地付近) に近く、政治・経済の重要拠点でした。
有力者や豪族が住む土地であったため、多くの古墳が築かれました。
- 古墳=権力や富の象徴
- 王権に近い有力豪族が次々に古墳を築造
- 河川沿いの平地で建設が容易
この地理的・政治的条件が古墳集中の理由です。
② 土地と地形が古墳に適していた
羽曳野・藤井寺は平野部と小高い丘が連なる地形で、古墳建設に適していました。
- 平野部:材料運搬や整地が容易
- 小高い丘:墳丘を目立たせ、支配者の権威を象徴
また、古墳時代の墓は河川や水路との関係が重視されました。この地域は淀川流域に近く、交通・物流の利便性も高かったと考えられます。
③ 有力者の競争・権威の象徴
古墳は単なる墓ではなく、政治的な権威や地域支配の象徴でした。
この地域の豪族たちは互いに権力を示すため、大きく豪華な古墳を築きました。
- 応神天皇陵(誉田御廟山古墳)は全長約400m、全国でも最大級
- 周囲に小さな陪塚(ばいちょう)が並ぶのは、権威を示す典型例
都市として栄えていたのか?
この地域は、古墳時代には現代的な都市ではなく、有力豪族の支配地・拠点として栄えていました。
- 集落や祭祀の中心として機能
- 古墳や寺院、神社など宗教・政治活動の場が密集
- 道路や川沿いに物流・交易のネットワークが形成
つまり、都市的な賑わいは「現代の市街地」とは異なりますが、政治・経済・宗教の中枢としての機能を持っていたのです。
まとめ
羽曳野市・藤井寺市に古墳が多い理由は、
- ヤマト王権の重要拠点であった
- 土地・地形が古墳建設に適していた
- 豪族や支配者の権威を示すため
という3つの条件が揃っていたためです。
また、古墳時代のこの地域は有力者の政治・祭祀・交易の拠点であり、都市的な機能も持っていたと考えられます。
現在の街並みからは想像しにくいですが、古代には古墳群を中心に活気ある地域だったのです。

